危険な安倍首相の居直り
07年07月31日
No.504
昨日は、多くの方々からお祝いの電話やメールをいただいた。私は候補者でないが、あたかも私が当選したような文句の電話や文面であった。きっと私と同じような思いで今回の選挙を捉えていたのであろう。統一地方選挙後、私は参議院選挙を頭において永田町徒然草を書いてきた。選挙に関することを書くことは、けっこう気力を要する。正直にいって少し疲れたことは確かである。しかし、政治は常に動いている。休んでいる訳にはいかない。
今回の選挙を振り返り、分析することは、非常に大切である。興味もあるし、いろいろな教訓がある。しかし、現在大切なことは、この選挙でこのような結果がでたのに総理大臣の座に居直ろうとしている安倍首相をこのまま許すかどうかである。有権者が明らかに不信任を突きつけたのに、これを無視する為政者を許していいのかという問題である。党利党略からいえば、安倍首相を続投させた方がいい。だが、それでは民主主義というものがおかしくなる。安倍首相は単なる右よりの政治家ではない。民主主義に公然と歯向かう、前時代的な危険な政治家である。
安倍首相の続投を支持したり、容認したする者の言い分はすべてたやすく反論できる。しかし、それは政治的に意味がないことである。それほど下らないものばかりだからだ。政権交代を考えれば、この無能な首相を自公“合体”政権のトップに置いておくことは好都合である。私が恐れるのは、安倍首相の民意を平気で無視するという危険な体質である。なんでもやる首相なのである。このことは常識では考えられないような続投宣言をしたことからも明らかであろう。
自公“合体”政権は、衆議院で3分の2をはるかに超える議席をもっている。国民の利益にならない法律を参議院で否決された場合に憲法59条2項のいわゆる3分の2条項を使って可決することも平気でやるだろう。憲法上はできても政治的にはそんなに簡単にできないという人が多い。それは甘い。安倍首相は平気でこれを使うだろう。国民の反発を承知で郵政造反議員を復党させたのは、そのことを考えているからであると前に指摘しておいた。決して油断をしてはならない。だから、やはり安倍首相を続投させることは危険なのである。
それにしても国民に不信任を突きつけられた首相を後生大事にいただく自民党や公明党は哀れでさえある。現実対処能力がない政党ということである。現実対処能力というのは、政権党のもっとも基本的な要件である。国政は国民生活を現実に預かっているからである。5000万件の宙に浮いた年金記録という現実、子供のような馬鹿な答弁を繰り返す大臣をそのまま居座らせる現実、安倍首相がいう改革を国民が望んでもいないし反対しているのに壊れたレコードのように主張することなど、いずれも現実に適切に対処する能力がないことを国民は見抜いて不信任を突きつけたのである。
安倍首相は国民が人心一新を求めているから、党・内閣の人事を一新するという。これには笑っちゃう。国民が求めている人心一新とは、安倍首相がその座から去ってもらうことなのである。このことが分からないのだろうか。本当に分からないというのであれば救われないほどの馬鹿であり、分かっているのにできないというのであれば現実対処能力がないということである。安倍首相は相変わらずよく喋る。しかし、いまやその言葉がすべて虚しい。安倍首相は“信なくば立たず”ということを知らないのであろう。ましてや民主主義とは被統治者の同意のある統治であることなどまったく知らないのであろう。安倍首相の一言半句に耳をそばだてよう。
それでは、また明日。