政権交代について
07年07月23日
No.496
与野党逆転・政権交代への道づけをするといわれている。参議院選挙で野党がかっても直ぐには政権交代にはならないことは確かである。しかし、政権交代を考えるとき、今回の参議院選挙はきわめて重要である。今日は、政権選択をめぐる戦後の歴史と今日的課題を考えてみることにする。
1953年(昭和28年)サンフランシスコ条約の締結によりわが国が独立して以来、わが国に存在した大きな政党は自民党と日本社会党であった。社会党が中心になって野党連合を作ったとしても、冷戦下で実際問題として政権を担当できたかは疑問である。冷戦の縛りは、現在の私たちが考えるほど甘くはなかった。冷戦構造の下で、アメリカの支援を受けた自民党政権を倒すことができなかったとしても、野党だけを責める訳にはいかないと私は考える。
わが国に新しい憲法ができ、国民は自ら新しい秩序を作る権利をもち、またその義務を負った。しかし、完全に自由ではなかったのである。独立前には、GHQという強大な権力が存在していた。独立後は、冷戦の中で西側陣営の一員として存在することを義務付けられていた。逆にいうと自ら秩序を作らなくても、ひとつの秩序にアプリオリに組み込まれたために、わが国にはそれなりの秩序はあったのである。政権選択の自由も完全にはなかったし、無政府状態を自らの力で克服するという困難な仕事から免れてきたのである。
その秩序のひとつに天皇制の存続ということもあった。その結果、官僚制が温存されてしまった。官僚制は国家の仕組みとして必要悪として存在することは仕方ないが、1945年(昭和20年)まで存在した前近代的な官僚制がそのまま温存されたマイナスは大きい。
冷戦は終焉した。中国やインドやアセアン諸国などの経済的発展はめざましい。これらの国々との友好関係はわが国にとって“ヴァイタル”とさえいえる。その中で日米同盟と叫び、これを永遠不変の価値があるように考える自公“合体”政権の国際感覚は、異常でさえある。冷戦下でも、“ヴァイタルな二国間関係”というのが、日米関係の重要性を示す最高の表現であった。
選挙制度として小選挙区制には多くの問題があると私は思ってきた。かつて小選挙区制を熱心に主張した人も、最近の政治がおかしくなったのは小選挙区制だという。いまさらそんなことをいってもどうにもならない。小選挙区制に唯一評価するところがあるとすれば、それは政権党を追いつめ易いということである。せめて政権交代を一度くらいしなければ、小選挙区制を導入した意味がないというものであろう。
年金問題をみても、自公“合体”政権の政権担当能力がいい加減なことが明らかとなった。野党がちゃんとした政権構想を示せば、国民が自公“合体”政権を拒否し新しい政権を選択することも期待できる。政権交代は、わが国ではひとつの“革命”である。その革命を成し遂げることによって、国民は自らが主権者であることを実感できるのではないだろうか。
この“革命”をいま遂行をしておかないと、国民主権を保障した昭和憲法を否定されかねない。それが憲法改正を叫ぶ右翼反動・自公“合体”政権の本性である。今回の参議院選挙は、その前哨戦である。また次の衆議院総選挙で誕生させる新しい政権が政権運営を円滑に行うための参議院を作っておく戦いなのである。そうだと思えは、この1週間を“革命的な闘志”をもって戦い抜かなければならないのである。
それでは、また明日。