事務的・官僚的な災害対策
07年07月18日
No.491
新潟県中越沖地震の被害の大きさが次第に明らかになりつつある。このように災害の全容を把握するということは難しいのである。地震が起きた当日に現地視察をしたなどというのは、災害対策上は何の意味もないことなのだ。。大切なことは、被害の全容を把握して、大づかみで良いから緊急に必要な対策を実行することと被災者に安心を与える抜本的な救済策を打ち出すことなのだ。それが災害に対して政治家がやらなければならないことである。
最近、災害対策のメニューは増えたが、非常に硬直化しているのだ。メニューの一つひとつは、いろいろな災害の中で必要に迫られて採られたものだ。いずれも政治的に決断されたものが多い。そうしたものが集積されてきたために、災害対策のメニューをみると何でもあるような気がする。しかし、災害は一つひとつが別物である。地震といっても、起きた時期・地域・被害状況によって、打つべき対策は違ったものとなる。今年3月、能登半島地震を視察した直後の溝手防災担当大臣の「下水道が心配ですね」という発言を私は批判した。しかし、新潟県中越沖地震では、上下水道対策が非常に重要な課題となってくると思う。
災害対策も、実は最近非常に官僚的になっているのだ。日本の官僚は、何でも官僚的なものにしてしまう。私は国土政務次官を務めたことがある。災害に対して政治が何をすべきか、いつも考えてきた。災害が起こる度に追加されてきた災害対策は、いまや数多くある。これを取り仕切るのは、例によって官僚たちなのである。安倍首相をはじめ多くの大臣が現地視察をしたようだが、そこで今回の地震について打ち出された対策というのはあるのだろうか。大臣は政府調査団の広告塔として動いているだけであり、実際に採るべき災害対策を決めているのは一緒に行動している各省庁からきた事務方なのだ。従って、当然のこととして事務的・官僚的なものとなる。
それにしても昨日の赤城農水大臣の「大してことはありません」発言には、また呆れ果ててしまった。事務所費問題の発言といい、今回の顔のガーゼについての答弁といい、どちらも明らかにおかしい。世間的な常識に欠ける。安倍首相と赤城農水大臣は、“アベちゃん”・“ノリちゃん”と呼び合う間柄なのだという。岸内閣で岸信介氏が総理大臣、赤城宗徳氏が農林大臣だったことにいやに郷愁を感じているのだという。赤城宗徳氏は、いうまでなく赤城大臣の祖父である。そんなところに赤城氏を農水大臣に任命した理由があるとすれば、どちらも「大したタマ」である。どうしようもない“お坊ちゃま内閣”である。こんな内閣は、もう終りにした方がいい!
それでは、また明日。