自公“合体”政権批判(3-その3)
07年05月30日
No.441
昨日は忙しく、昼は外でいろいろな仕事をし、夜は後に述べるような理由で朝の報道番組を観た限りで以後はまったく観ていない。朝早く起きて“おはよん”で、松岡利勝農水大臣の自殺について昨日一日の間に新たに判明したことをおさらいして、この記事を書いている。いろいろなことをいろいろな人が発言しているが、特にこれはというものはなかったと思う。昨日述べたように自殺というのは、正常でない精神状態の下で行われる。多分松岡氏自身も、本当の理由は自らに説明することはできないのだと思う。私は松岡氏の自殺について物知りげに述べることはあえて避ける。多数の記事を詳細に読みこなしてみるつもりである。その上で、述べるべきことがあれば書くことにする。
昨夜6時から都ホテル東京で、森田実氏の『アメリカに使い捨てられる日本』出版記念会が開催された。私にも案内の書状があったので、これはどうしても出席しなければならないと前から決めていたが、仕事の都合でちょっと遅れてしまった。出版記念会は、森田氏の自らが司会をする、各界の人々の3分間スピーチ大会という独特のスタイルの会であった。そんなことでいろいろな人が思いの一端をスピーチしていた。私は最初のうちはこれを聴いていたが、途中から多くの人々から話しかけられ、名刺交換したりいろいろな話をした。また会場は禁煙だったので、ときどきタバコを吸うためにロビーの喫煙所にいったが、そこには同友の人も結構いて、そこでも有意義な機会を得た。
小沢一郎民主党代表、菅直人民主党代表代行、亀井静香国民新党代表代行、鈴木宗男新党大地代表など多くの人も駆けつけてスピーチをしていた。残念ながら私は多くの人々に話しかけられたために、申し訳ないがあまり集中して聴くことができなかった。それらのスピーチは、森田氏のWebサイトに掲載される予定とのことなので、ここで不完全な形で紹介する必要はないであろう。森田氏は現在74歳である。しかもすこぶる元気である。私は必ず毎日森田氏のWebサイトをみている。質の高い評論をなされている。今後の益々のご健闘をお祈りする。それでは、自公“合体”政権批判(3-その3)を掲載する。長いものだったが、お付合いをいただいたことに感謝申し上げる。
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<永田町徒然草No.440からつづく>
自公連立の基本理念は!?
“はじめに言葉ありき”は、聖書の一節である。キリスト教とは関係ないといっても、公明党は創価学会という宗教団体と深い関係がある。公明党の幹部は、すべて創価学会員であることを認めている。創価学会の宗教的な教えがどのようなものか私は知らないが、自民党と公明党の連立に関する政策協定が“金目”に関するものだけというのでは、あまりにも寂しいだろう。
正直に告白するが、私は自民党と公明党の連立に関する政策協定など読んでいない。私は公明党の政権参加は憲法20条に違反するものと考えている。憲法違反のことを平気で行おうとする者が、どのような美辞麗句で政策協定を書いても私はそんなものを信ずるつもりがなかったからである。
自社さ連立政権の政策協定も、あらゆる問題について疑問のないように詳細に書かれたものでは決してなかった。しかし、政権運営の基本を“憲法の価値観”、私流にいわせてもらえば“リベラルな価値観”で行おうということだけは確りと合意していた。自民党の河野洋平総裁、社会党の村山富市委員長そして新党さきがけの武村正義代表の3人の政治的考えや人間性には信頼に足りるものがあった。そこのところが確りとしてから、自社さ連立政権の時代にも困難な問題がいろいろと提起されたが、けっこう上手く解決することができたのだ。
このことは実は非常に大切なことなのである。政権にとって解決をしなければならない問題は無数にある。それまで放置されてきた問題を連立に参加する政党が解決を他党に迫るということはごく普通のこととである。そこにまた連立政権の妙味もある。そのようなことに成功した場合、その政党は次の選挙で成果として訴えることができるであろう。それは否定されることではない。しかし、連立政権成立後、新しい想定していなかった問題が必ず起きる。政権を現実に運営する上でそれは避けて通れない。想定できない問題であるから、それを政策協定に盛り込むことはできない。その場合に必要なことは、連立運営の基本理念なのである。
他者には理解できない特殊な相互依存と信頼関係
自社さ連立政権も発足当時あまり評判は芳しくなかった。野合政権といわれた。公明党は自社さ政権の野党だった。公明党も他の野党と一緒に自社さ連立政権に対してそのような批判をした。自公連立もすこぶる評判は悪かった。しかし、自社さ連立政権と自公連立には決定的違いがある。
自社さ連立政権発足時には、衆議院の過半数を単独でもっていて、政権を単独で組織できる政党がなかったことである。連立政権でなければ、衆議院で過半数をもっている政権は作れなかったということである。どのような政党の組み合わせであろうが、違った政党同士が連立を組むのであるから批判はあるものである。それは細川非自民連立政権も同じであった。
しかし、自民党が公明党と連立を組んだ平成11年10月当時、自民党は衆議院で過半数を十分超える議席をもっていたのだ。連立を組まなければ政権を組織できなかった訳ではないのだ。法律を通すために必要な参議院では過半数がないといわれたが、平成元年の売上税選挙でマドンナ旋風が吹いて自民党が惨敗した選挙以来、自民党は参議院では過半数をもっていなかったのだ。だが自民党は連立政権などと決していわなかった。必要な法律は野党各党と交渉をしながら成立させていった。当時私は国会にいたが、国政上重要な法律が参議院で通らなかったために大きな支障が生じたという記憶は特にない。
小渕内閣の時代、金融不安が生じ経済が低迷していたことは事実である。しかし、連立政権をどうしても作らなければならないという必要性を国民は感じてはいなかった。だから自民党が公明党と連立を組むことに対して拒否反応が強かったのだろう。小渕首相およびその周辺と公明党は、そもそも“はじめに連立ありき”だったのだと私は思う。それは自民党時代のかなり前から続いていた特殊な関係があったからだと私は思っている。自民党小渕派と創価学会・公明党には、田中派以来連綿と続いてきたある種の相互依存関係と他派には理解できない信頼関係がきっとあったのだろう。
このことを推測させる事実を私はハッキリと記憶している。平成13年4月の自民党総裁選挙の際、橋本元首相が敗れて小泉総裁が誕生した場合、公明党は自民党との連立そのものを考えなければならなくなると公明党幹部が発言したことである。平成12年6月の総選挙で創価学会・公明党は多くの自民党候補を推薦・支援した。そのような議員に対する明らかなプレッシャーであった。 しかし、自民党の低迷に強い危機感をもっていた自民党の党員や議員にそのようなプレッシャーは通じなかった。自民党の議員や党員は、自民党という母屋に火がついて燃えていると感じていたからである。“自民党をぶっ潰す”と叫ぶ総裁を据えるくらいの劇薬を使わなければ、その危機は超えられないと思ったのである。そしてその危機感は正解だったのである。自民党は“自民党をぶっ潰す”というトップを擁して肥大化した。見事な詐術であったが、詐術はしょせん詐術でしかない。褒められることではない。
分かり難い不自然な自民党と公明党との関係
自公連立には、もうひとつ根本的問題というか疑問がある。連立政権というのは、基本的には選挙はそれぞれの政党が独自に戦い、選挙後ある政党が過半数をとれなかった場合にはじめて考えるのが普通である。過半数を得た場合でも、どの党との関係は重視するということはあろう。
平成8年の総選挙において、自民党は選挙後も社会党(選挙に突入寸前に民主党と社民党に分裂した)と新党さきがけとの連携関係を重視することを言明した。それは単独で過半数をとる態勢がなかったこともあるが、自民党に対する不信感はいまだ払拭されていないと判断した上での政治的配慮に基づくものだった。そういう理由から、自民党の候補者がいない選挙区で連立のパートナーとなる他党候補を推薦したり支援することは否定されない。
現在の自民党と公明党との関係は、これとは明らかに異なる。自民党と公明党は、文字通り一体となって全選挙区で戦っている。自民党と公明党とが相争う選挙区などはひとつもない。公明党は最初から全選挙区に候補者を擁立するつもりはない。だから公明党が自民党候補者を推薦することはあり得ることである。
しかし、公明党候補者はいるが自民党候補者がいない選挙区では、自民党支持者は自民党候補者に投票することができない。公明党候補者に投票することが自民党候補者に投票することと同じだという論理でなければこれは成りたたない。このような分かり難い不自然なことをするくらいだったら、自民党と公明党はひとつの政党になった方がいい。政党討論会などをみていると自民党と公明党の出席者は同じ与党席に座ってはいるが、その発言が大きく違うこともある。自民党候補者と思って投票してくれといわれて公明党候補者に票をいれた人は複雑な心境になるだろう。
“政権党でいたい”というのが動機と目的
公明党は“福祉と平和の党”ということを売りにしてきた。そのことは現在も変えていないようである。だが公明党はイラクに自衛隊を派遣するとき反対しなかった。イラクへの自衛隊派遣は、自民党単独では決してできなかったであろう。財政難を理由に各種の福祉は大幅に切り捨てられている。これだけは絶対に譲れない福祉政策だといって公明党が粘ったことなど記憶にない。
小泉首相の靖国神社参拝は、創価学会・公明党の主張からみたらそう簡単には譲れないことである筈だ。しかし、公明党はおざなりの反対をするだけだった。いまや自民党は創価学会・公明党の力を借りなければ、衆議院でも参議院でも過半数も取ることはできないであろう。だから公明党は連立の力をフルに利用すれば公明党の主張を自民党に迫ることは十分できるのだが、公明党にそのような気迫も気配もない。
以上いろいろな視点からみても、自民党と公明党との連立は特殊である。というより、異常である。この異常な連立を可能にしているのは、この連立が兎に角“政権党でいたい”という一点にその動機と目的があるからだろう。だからそれぞれの党のレーゾンデートルに抵触するような場合でも、ほとんど緊迫したことにはならない。見事といえば見事な連立だが、私にはそれは浅ましく見えるのである。
自公連立の根本が兎に角“政権党でいたい”というところにある以上、自民党や公明党の主張の違いはほとんど意味がない。かえって政治的問題の所在を曖昧にするだけだ。それは時には、与党の詐術ともなる。創価学会の特異な体質として、詐術を平気で用いることだと創価学会ウォッチャーは指摘している。創価学会のこの体質は、いまや自民党にも政権全体にも染み付いてきたようである。
自民党と公明党は、もう“合体”している
「最近、永田町の政治記者の間では、公明党・創価学会のことを“下駄の雪”とは言わなくなりました。雪だと暖かくなれば溶けて下駄から離れますが、公明党・創価学会は何があろうと絶対に自民党から離れない。ですから最近は“下駄の石”と言われています。下駄に挟まった石は取り外すことができない。公明党・創価学会はすでに自民党と一体化しており、離れることはないという意味です。もう“自公連立”ではなく“自公党”という一つの政党になっています。ただ、やがて“石”のほうが主人公になるでしょう。公明党・創価学会が自民党の上に立つ時期はもうすぐです。自民党は落ち目です。これを助けているのが公明党・創価学会です。とくに創価学会の選挙パワーが自民党を支えています」
森田実氏のWebサイトに紹介されていたある政治記者の話である。鋭い洞察力を持った政治記者である。いい得て妙である。特に「やがて“石”のほうが主人公になるでしょう」という部分は意味深長である。創価学会ウォッチャーの指摘によれば、庇を借りて母屋を乗っ取る、寄生獣(パラサイト)的体質も創価学会の特質だという。このことをこの政治記者はいいたかったのであろう。
「(公明党が)自民党と連立政権を組んだ時、ちょうどナチス・ヒットラーが出た時の形態と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性を非常に多く持っている」
と『創価学会を斬る』の中で著者の藤原弘達氏は指摘している。 自民党はいまや寄生獣(パラサイト)に犯されているのだ。もう“古き良き”自民党の誇りや気概などないのだ。。だから私は自公“合体”政権と呼んでいるのだ。
安倍首相は、美しい国を作るのだという。安倍首相は、まずこの異常にしてあさましい自公“合体”政権を清算しないことには、美しい国など作れる筈がない。
<おわり>