またまた銃による犯罪
07年04月21日
No.402
昨日もまた暴力団と銃が問われる事件が発生した。私が長崎市長銃殺事件で指摘したことが本質であることが明らかになったと思う。昨日は締切りの迫った原稿を書いていたので最後まで事件の顛末をみることなく、原稿を書いていた途中でバタンキューであった。この永田町徒然草を書いている時点ではまだその顛末を知らないのだが、それはあまり重要な事柄ではないような気がする。
長崎市長銃殺事件以降、報道で知るだけでも外に2件の銃による殺人事件が起きた。アメリカではヴァージニア工科大学事件以降も、数十人がきっと銃によって殺されているであろう。アメリカでは、1年間に1万人以上が銃による殺人事件の被害者となっているのだという。わが国の1年間の交通事故死は、いまや1万人をかなり割っている。自動車社会である以上、交通事故死は避けられないことではあるが、だからといって自動車をなくすることはいまやできない。自動車をなくすることができない以上、交通事故死を完全になくすることは残念ながらできない。しかし、銃は違うのである。銃は現代社会には必要がない“文明の利器”としての武器に過ぎないのである。
ここでいま見ているテレビで、昨日午前3時過ぎに警察官が“突入”したことを知った。犯人は自殺を図り重体で身柄を確保された。犯人は意識不明の重体とのことである。この立て篭り事件に対する対応の是非は、問題がない訳ではないがこれはかなり専門的な問題なので述べないことにする。前にも書いたが、“7人の八丁堀”の「生きて捉えるのが御定法だが、手に余るときは切り捨てぃ!」というのがこういうケースの鉄則であろう。SITまで出動させた大捕り物だったが、この基本的が守られたがどうかだ。人質のいない立て篭もり事件にしては、鶏を捌くに牛刀を用いた感がしないでもない。専門家の判断に委ねることにしよう。
さて、明日は統一地方選挙の後半戦の投票日である。さらに福島県と沖縄県では参議院補欠選挙が行われる。これらの選挙によって国政が直ちに動くとか流動化するというものではないが、どちらとも重要な選挙である。一大決戦もその前哨戦や陣地確保の小規模な戦闘があり、それらの積み重ねによって決戦の帰趨が徐々に決まっていくのである。そのような地道な努力や準備をせずに、一発勝負で決戦に臨むのは冒険主義である。冒険主義は、戦争や革命では危険なこととされている。わが国の将来を危険な冒険主義に委ねることはできない。来るべき決戦に備えての橋頭堡を確保する一票の行使を期待したい。
それでは、また明日。