野党の覚悟
07年04月13日
No.394
昨日、憲法問題調査会で国民投票法案が採決された。日曜日にはヨレヨレの石原慎太郎氏が都知事に3選された。自公合体政権に疑問や反対をする人には、芳しくないことが次から次と目の前で展開されていく。こういう状況における野党の覚悟ということについて述べてみる。
ひとつは“諸行無常”ということである。すべてのことは、常がないということである。確かに自公合体政権は衆議院で3分の2を超える化け物みたいな議席をもっている。国会におけるこの数を嵩にきて、自公合体政権はやりたい放題である。しかし、この状態もあと2年ちょっとしかないということである。自公合体政権が酷いことをやればやるほど、必ず次の衆議院選挙において有権者の反撃を喰らうということである。野党の国会対策は、そのことを鮮明に印象付けるようなものでなければならない。
次に必要なことは、“不屈の闘志”である。化け物のような議席も郵政解散選挙における野党の不甲斐ない対応のために詐取されてしまったのである。小泉前首相の詐術を責めることは必要だが、責任のひとつは自らにもあるということを自覚することである。そう自覚すれば不屈の闘志も生まれてこよう。打つ手がほとんど無いというのは国会対策くらいであろう。それ以外は、野党が不屈の闘志をもってこれを行えば、有権者はこれを支えてくれることを信じてあらゆる分野で戦いを展開することである。統一地方選挙を分析すれば、このことは明らかである。だから都知事選挙における不甲斐なさを私は指摘するのである。
“野党共闘”ということを本気で模索しなければならないということである。今夏の参議院選挙においてキッチリとした結果を出さないと、有権者は野党に対する信頼をなくしてしまう。お互いに言い分のあることは分る。しかし、もうそんなことをいっている場合ではない。どの党がどうだとお互いに責め合っても仕方がない。野党全体に対する信頼がなくなってしまうのである。そういうところまで追い詰められていることを、野党各党は認識しなければならない。野党共闘を成立させる最後の責任は、何だかんだといっても民主党にある。民主党が現在の票や議席を確保しているのは、決して民主党の自力ではない。小選挙区制の下では、反政権の票が民主党に集まるのである。民主党はこのことを自覚しなければならない。
最後は“有権者に対する信頼”である。有権者は野党が考えているほど賢明でないかもしれないが、野党が考えているほど暗愚でもない。有権者が賢明な判断ができるかどうかは、実は野党と有権者の協同作業なのである。以上の点をふまえて、野党各党が正しい問題提起をすることである。有権者は正しい問題提起があれば、必ずこれに応える筈である。正しい問題提起をするためには、政治理論と政治的センスを研ぎ澄ますしかない。それは、非常な努力をするしかない。僭越ではあるが、私がこのWebサイトで述べていることは、まず野党の政治家にいいたいことを書いているのである。でもほとんど読んでいる人はいないようである。まあ、いいけどね。
それでは、また明日。