国民と憲法の“存立危機事態”
15年09月09日
No.1775
昨晩(9月7日)から今朝まで、私は一睡もしなかった。徹夜はよくやることなので、それ自体はどうこうということはないが、今回の徹夜は少々堪えた。その理由を述べよう。まず、何のために徹夜したかというと、野田聖子自民党衆議院議員が総裁選の立候補に必要な推薦人を集めて、総裁選に立候補できるのかどうかを確かめるためであった。
そんなことは9月8日の朝になれば判るのだが、政治は、そういうものではない。野田聖子女史が20人の推薦人を必死になって集めているのだから、それがどうなっているのか、まず、知る必要がある。そして、推薦人集めやその切り崩しがどうなっているかを知らなければ、今回の自民党総裁選、さらには現在の自民党について、切迫感をもって語れはしないからである。
私は、野田女史と特に親しかった訳ではない。顔見知り程度より、ちょっと深い付き合いに過ぎない。政策的には、私が自民党の通信部会の幹部として活動していた時に、通信政策を熱心に勉強している代議士なのは知っていた。若くして郵政大臣になったのは、彼女のキャリアアップに繋がったと思っていいるが、郵政問題に深く関わりを持ったために、郵政選挙で非公認候補となった。
詳しいことは省略するが、野田女史が今回の総裁選に立候補するのは、“義”のあることであった。そんなことは、多少政治を知っている者ならば、ほとんど異論ないところだろう。しかし、自民党の男たちは動かなかった。自民党の女性たちも、動かなかった。自民党は、「“義”のために立ち上がる勇者がいても、その勇者を守るために動かない政党」であると、満天下に示してしまった。
安倍陣営がどのような動きをしたか、これまで、私なりにいろいろと取材した。やはり、露骨で陰湿な切り崩し工作を徹底的にやったようだ。その結果としての、安倍首相の無投票当選だった。昔の自民党ならば、こういうことは起きなかった。保守政党を自認する自民党には、少なくとも、「義を見てせざるは勇無きなり」という“侠気”というものがあった。いまの自民党には、そういう“侠気”さえ無いのだ。
この様を見て、「関東軍が嘗て満州で、多くの日本国民を見棄てて、いち早くソ連国境から退却したこと」等々を、私は、想起せざるを得なかった。軍隊に見棄てられた在留邦人が、どのような塗炭の苦しみを背負わされたか ─ 今年夏に数多く放映された戦後70年番組で、私たちは嫌というほど知った。安倍首相を初めとする右翼反動の政治家たちから、「日本国民を守るための安保法制改正なんですよ」と言われても、多くの国民が、その言を素直に受け入れられないのは、当然であろう。
今回の自民党総裁選における、安倍首相の卑劣で強引な切り崩し工作を、多くの国民は肌感覚で知っている。それは、安倍首相が強行採決しようとしている安保関連法案への疑念・反対を、さらに強くするだろう。安倍首相も自公“合体”政権も、国民の懸念や反対など、いくらあっても仕方ないと開き直っている。まさに、国民と憲法にとって、“存立危機事態”だ。私は、そういう思いを強くしている。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。