8・30決起行動という現実の中で
15年08月30日
No.1772
8月30日午後1時40分頃から午後4時20分頃まで、私は、国会正門前と国会前公園にいた。その前に私は、国会周辺を車で回ってみた。とにかく、あちこちから人々が集まってくる。全体でどの位の人数が集まったのかは、よほど専門家でないと分からないであろう。国会正門前の広い道路が、8・30総決起集会の開催場所となった。それは、歴史上初めてのことであろう。
この場所に何人が入れるのか、私は知らないが、この場所に入りきれない人々は、周辺の、国会前の公園(森)で待機している。広大な公園なので、数万人が待機できる。そうは言っても、国会正門前に来ること自体が混んでいるので、簡単には無理である。だから、外務省前とか財務省前でも街宣車を中心に人が集まり、そこが決起集会の場となる。たぶん、そのような決起集会が10箇所くらいできたと思うが、その詳細は私には分からない。
私は、国会前と国会周辺に集まった人々の数を詮索する気はない。ただ、10万人前後であるのは確かだろう。大変な人数である。これだけの人数が集まったので、民主党・共産党・生活の党・社民党の党首4人集まって、決意表明した。これは、政治的に大きな意味がある。参議院における自公“合体”政権の安保関連法案の採決を、簡単には許せなくなったということである。是非、そうあって欲しい。
私は、2時間くらい国会前と国会前公園(森)にいた。3時過ぎからは、雨足がかなり強くなった。結局、雨具は持って行かなかったので、シャツも体も、かなりびしょびしょになった。だが、そんなことはどうでも良い。家に帰って風呂に浸かれば、どうということはない。それよりも、この決起集会に人々が集まった、その政治的意味合いである。参加者の行動や様子を見ながら、私は、雨の中でずっと考えていた。
感じること・思うことがあまりにも多過ぎて、ここで簡単に述べるのは難しい。また、そう簡単に言うべきでもあるまい。政治は、現実から出発する。いや、出発しなければならないのだ。自民党や公明党の中で、この決起行動のど真ん中で8・30決起行動が持つ意味合いを考えた人は、果たしているのだろうか。野党の中で、それを突き詰めて考えた人はいるのだろうか。そこが重要なのだ。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。