安倍首相を"変更"する闘い。
14年07月02日
No.1681
ひとりの日本国民として日本の政治に関心を持ち、ひとりの主権者として政治に関与するようになって、50年余となる。30歳からは、ひとりの政治家としてより積極的に関与するようにもなった。それから、約40年が過ぎた。そのような人間であるから、この間、いろいろなことを体験した。政治に深く関与すると、嬉しいことより辛く悲しい想いをすることの方が多い。「辛く悲しい時、その人がどう過ごすか」によって、政治への関わり方が深化し、進化もするのだ。
先輩および同輩の人たちにとって、2014年7月1日が忘れられない日となったことだけは間違いなかろう。私より30歳くらい若い人にとっても、その想いはそんなに変わらないのは想像に難くない。それより、若い世代の人たちの想いがどのようなものであるか、正直のところ、私には自信がない。6月30日と7月1日、首相官邸前に行ってみて、若い人々も憲法9条に対し強い想いを持っているのが窺がえた。だから、多くの日本国民にとって、平成26年(2014年)7月1日が忘れられない日となることだけは、確かなのであろう。
7月1日、集団的自衛権の行使容認という憲法解釈を閣議決定して万々歳したのは、安倍首相とその仲間たちだけであろう。私は、午後6時から行われた安倍首相の記者会見を、テレビで見た。安倍首相の顔に生気は全くなく、話は、プロンプターを見ながら口をパクパクさせているように見え、目は泳いでいた。信念と情熱をもって、国民の心に迫るようなものは何もなかった。何が彼らをそうさせたのか、私は、安倍首相の背後にいる人物に思いを馳せざるを得なかった。
驚いたのは、安倍首相の精一杯の“演説”を受けての記者の質問だった。最初の記者の質問は閣議決定に関連したものだったが、次の質問は北京で行われた日朝協議に関してであった。どの社の何という記者か知らないが、空気読めないなんてもんじゃない。たぶん、官邸筋と内閣記者会のやらせ質問なのであろう。こういう連中が、安倍首相とその仲間の手先となって、解釈改憲という暴挙を可能ならしめたのである。その証拠といってよい。嗚呼…。
NHKの『ニュースウオッチ9』は見られなかったが、テレビ朝日の『報道ステーション』とTBSの『ニュース23』は見た。古舘氏には、この問題はちょっと荷が重いようだ。岸井氏は、熱い想いを込めて発言していた。国会議員の現役当時、もちろん私は、岸井氏と何度も会ったことはあるが、正直いってあまり好きにはなれなかった。しかし、特定秘密保護法案の頃から、私は岸井氏を見直している。私と同世代の記者魂が、彼をそうせしめるのだろう。
第一幕は、7月1日に終わった。しかし、これから第二幕が始まるのだ。第一幕では、安倍首相とその仲間は集団的自衛権に関する憲法解釈を変更した。第二幕は、安倍首相とその仲間を“変更”する闘いだ。その闘いのためには、まず関係者すべての考え・心根を調べることから始めなければならない。鉄は熱いうちに打て。だから、7月1日当日の言動、それ以降の言動を、シッカリとフォローしなければならないのだ。
集団的自衛権の行使容認の閣議決定は行われた。しかし、憲法そのものが変わった訳ではない。憲法9条が、集団的自衛権の行使を禁止しているのは明白なのだ。悲観も楽観も禁物である。私たちは、新しい闘いの歩みを始めなければならない。辛く悲しく苦しいであろうが、戦いにそれは付き物なのだ。そういうことを何度も体験しているので、私は悲観も楽観もしていない。大切なのは、理想に向かって歩み続けること。そこから希望が生まれるのだ。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。