「戦略」なき成長戦略
14年04月12日
No.1664
時々寒い日もあるが、本格的な春となった。東京の桜は終わり、いよいよ新緑の季節となる。私は、この季節がいちばん好きだ。それは、この世の生命力がいちばん感じられるからだ。己の生命力も、目覚めてくる。今年の冬は厳しかったが、時期が来れば、このように確実に春となり、やがて初夏となる。ところで、わが国のあり方はどうだ。安倍首相とその仲間の鼻息は荒いが、諸般の情勢はあまり芳しくない。私に言わせれば、最低最悪だ。
こんな情勢なのに、なぜ安倍内閣の支持率がこんなに高いのか、私には理解し難い。最近の国民の意識は、少しおかしくなっているのではないか、とさえ思っている。国民の感覚をおかしくさせている一つが、株価である。確かに安倍内閣になってから、株価は上がった。その原因は安倍内閣の力だけではないのだが、安倍首相はそう思っているようだ。しかし、黒田日銀総裁の異次元の金融緩和から丁度一年が経ったが、株価は一年前と同じだ。
黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を、“第一の矢”というそうだ。安倍内閣になってからの大規模の財政出動は、“第二の矢”。しかし、これだけでは景気は本当に良くならないと、多くの経済評論家は言う。彼らは、成長戦略が打ち出されないと、経済は良くならないという。この成長戦略を、“第三の矢”というそうだ。このような主張をするのは、いずれも経済学者か経済の専門家だ。
彼らが経済の議論をしているだけならば、経済に門外漢の私がしゃしゃり出る幕はない。しかし、彼らが安倍首相に政治的な然るべき施策を求めている以上、それは政治の問題である。そういう問題ならなば、私にも意見はあるし、言わなければならないことが山ほどある。成長戦略なるものを主張し、提言している人たちは、ほとんどが経済学者か経済評論家か経済人である。彼らは経済の勉強はしているのだろうが、残念ながら政治の勉強はしていないようだ。
政治の議論をする場合、使う言葉を正確にしなければ、議論そのものが不毛となる。戦略と戦術は、その概念が異なる。戦略とは、「特定の目標を達成するために、長期的視野と複合思考で力や資源を総合的に運用する技術・科学」をいう。戦術とは、「ある戦略目標を実現するために、具体的に成し遂げるべき課題や作戦」をいう。戦術は、戦略の下位概念である。
いま、安倍首相とその仲間が、いろいろな会議で議論している「成長戦略」なるモノは、私に言わせれば、成長戦略などと呼べる代物ではなく、すべてその具体例に過ぎない。本来ならば戦術と呼ぶべきものであるが、戦術という場合、どのような戦略から導き出されたかを明らかにしないと、その意義はほとんどないのである。正しい戦略に裏打ちされた戦術でなければ、全体として正しく機能しないし、戦略的目標に辿り着くことはできない。
いま、安倍首相とその仲間が口にしている成長戦略なるモノは、言うならば「戦略」なき成長戦略に過ぎない。長期に亘って低迷しているわが国の経済を成長させるために、いまいちばん必要なことは、まさに正しい戦略に基づく政策を打ち出すことなのである。それこそ、成長戦略と呼ぶべきである。それは、経済だけに留まらず、政治的・社会的・文化的なものまで含む、総合的な戦略となるであろう。
わが国の経済成長は、まず自由主義経済を基本することには、ほとんど異論はないだろう。自由主義経済は、ひとり経済だけで成り立つものではない。政治、社会、文化などの、あらゆる分野の総合的営為を抜きに論ずることはできない。その結果としての成果なのだ。世界で最も自由主義的な憲法を敵対視する安倍首相の下で、正しい成長戦略を打ち出せるのかというのが、そもそもの私の根本的疑念なのである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。