都知事選の意味と成果
14年02月10日
No.1650
都知事選の結果が出た。細川氏は落選したが、私はあまり落胆していない。マスコミにあれだけ意図的な報道をされたのでは、勝てる選挙も勝てなくなる。明治初期や昭和の大政翼賛会選挙の時のような、言論統制を彷彿とさせるようなものであった。しかし、多くの国民にそのような認識がないことが、私に大きな危機感を覚えさせるのである。
圧倒的な国会の多数を嵩にきて、安倍首相は、何をやっても許されると思っているようだ。安倍首相がやろうとしている政治は、伝統的な表現でいえば、間違いなく“右翼反動の政治”だ。安倍首相としては、本当は田母神氏を擁立したかったのではないか。しかし、田母神氏では当選が望めないので、已むなく“勝てる候補”として、舛添氏を推薦したのであろう。
平成22年8月の総選挙で自民党が惨敗した時、「自民党の歴史的役割は終わった」と宣言し、自民党を出ていった舛添氏を、何のケジメもなく推薦する安倍首相の神経を、私は理解することができない。要するに、選挙に勝てれば何でも良いのだ。その安倍首相がいま一番やりたいことが、原発再稼働であり、原発輸出なのである。
それにストップを掛けようと安倍首相の前面に立ち塞がったのが、細川・小泉W連合のだ。そして、共産党や社民党だけでなく、幅広い人々が、その周りに一挙に集まったのだ。原発再稼働を阻止するためには、これまでとは違う、多くの人々が立ち上がらなければならないのだ。舛添氏も「原発は、徐々に減らしていかなければならない」と言わざるを得なかった。どうせ、得意の口先だけのことだが…。
元首相と言えども、組織がなければ“ただの人”に過ぎない。小泉首相は、自民党の方針と真っ向から対立している。細川氏を総理大臣にした日本新党も、雲散霧消した。当時の関係者の多くは民主党にいるが、その民主党は、いまも半身不随状態である。だから、元首相と言っても、二人は、その個人的信用だけを頼りに立ち上がったのである。
二人の個人的決起が、1か月足らずで95万票余を集めたのだ。選挙を知っている者にいわせれば、見事といわざるを得ない。マスコミが二人の選挙運動(といっても、タッグマッチの街頭演説なのであるが)をもっと報道してくれたら、細川氏の得票は、少なくとも倍に伸びたであろう。そうすると、宇都宮氏の票と微妙な反応が生じ、細川氏と舛添氏、二人の接戦となったことだけは間違いない。
選挙戦術に関しては、いろいろと言いたいことがある。足りないことは、様々ある。しかし、それは戦術の問題に過ぎない。重要なことは、細川氏と小泉氏が立ち上がったことなのである。この二人が今後、どのような活動をされるのか、私は詳細を知らない。だが、原発再稼働反対は、いまや国民の世論である。これだけは、マスコミにも、どうにもできない筈である。今回の都知事選は、その序章に過ぎないのだ。
それでは、また。