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安倍内閣の無定見な一例

07年03月28日

No.378

「地震、カミナリ、火事、親父」という。しかし、実際に体験してみないとあまり実感は湧かない。誰にでも親父はほとんどいる。火事も昔は良くあった。最近火事を身近で体験することは少なくなったのではないだろうか。雷をみることはあるが、カミナリで身近な人を亡くするというのはあまり無いのではなかろうか。私の場合、かなり身近な人が落雷で死亡したことを経験している。農作業中に鍬にカミナリが落ちての落命だった。昔はこういう事故がけっこうあった。地震は、というと……。

関東大震災などは、歴史の教科書で習いはした。昭和39年には新潟地震があったが、私は東京にすでに出ていた。郷里の十日町市は震源地の新潟市から100キロ近く離れている。だから地震の恐ろしさを実際に体験してはいなかった。私の地震に対する最初の体験は、阪神淡路大震災であろう。といっても、直接地震の現場にいた訳ではない。その時、私はアメリカのサンフランシスコにいた。白川後援会主催のアメリカ研修旅行で渡米中だったのである。これだけ情報が発達していて、世界中のどこで何が起こっても直ぐ判るように私たちは思っているが、そうではないことを私は体験した。

地震が起こったのは、旅行会最後の晩でこれから船上で催されるフェアウェル・パーテーに出かけようという少し前だった。現地のニュースで「神戸で地震があり、200名くらいが死亡した」という情報は皆が得たのだが、それ以外はまったく情報が入ってこなかった。翌朝、在サンフランシスコの領事館の館員に訊いても、新しい情報はあまり入らなかった。兎にも角にも私は帰らなければならないと決め、皆さんと別れて飛行機を乗り継いで帰国の途に着いた。それぞれのところで日本の航空会社の人に情報を聴くのだが、彼らもほとんど情報が入らないというのだ。大惨事だという実感を伴う情報を得たのは、宿舎の着いてテレビで現地からの報道をみてからであった。

当時私は衆議院の商工常任委員長をやっていた。さっそく通産省の担当者がきて説明をしてくれたが、なかなか要領を得ない。現地の直ぐ飛ぼうかといったのだが、現地は混乱しているし、対応することができないので暫くは視察にも来ないでくれというのだ。私が現地を視察したのは、地震が起こった日から10日後くらいだったと記憶している。その間、テレビでよく観ているつもりではあったが、現地の惨状は実際に観ないと分らない。商工委員会の所管では、電気・ガスの供給がもっとも緊急かつ具体的な課題であった。電気は比較的早く復旧したが、ガスの復旧はそう簡単にはゆかなかった。都市ガスが全部復旧するのには、約半年かかった。

次に私が直接体験した地震は、いうまでもなく新潟県中越地震であった。この日、私は高校の同級会があったために、十日町市のリゾートホテルにいた。しかし、そのホテルがあったところでは、被害がそんなに大きくなかったために十日町市内の地震被害の全容を把握するだけでも2、3日が必要だった。中越地区全域の地震被害の全容を政治家として掌握するためには、個人的な活動として行うという制約もあったために2週間近くが必要だった。災害対策の指揮を執る者が全容を正しく掌握していないと、適切な対策を講ずることができない。詳しくは、以前書いた「災害と政治家」をご覧いただきたい。

今度の能登半島地震は、3月25日午前9時40分過ぎであった。NHKの日曜討論を観ていたところ、地震速報がありそのまま中継に代わり、日曜討論はなくなってしまい、午後改めて放送していた。NHKや他局の地震報道を観ながら、だいたいの地震の状況を把握しようと努力したが、上記のような体験があるので十分な注意をしなければならないと思っていた。官邸の危機管理室は、午後2時ころにはそんなに大した地震ではないという判断をしたような雰囲気が報道を通じて伝わってきた。しかし、本当にそんな判断を下して良いのかと私は疑問であった。案の定、能登半島地震の被害は、官邸や東京のテレビ局が考えるよりはるかに深刻であった。

3月26日夜、Webマスターから電話があった。現地視察をした溝手防災担当大臣の「下水道が心配ですね」との発言に対する怒りの電話であった。神戸在住のWebマスターは、阪神淡路大震災を神戸で実際に体験している。だから地震などの災害対策には、特別に関心をもっている。以下は26日22時47分付けの私宛てのWebマスターからのメールである。

「能登半島地震から一夜明けても、復旧作業は難航が続いています。中でも、断水が大きな問題となっています。震度6強の地震に襲われた輪島市門前地区。今にも倒れそうな建物が26日昼、余震の被害に遭ったのです。屋根が建物を押しつぶすように倒れました。門前地区およそ3700世帯のほとんどが、今なお断水状態が続いています。避難所でも水道が使えないのです。そして、ようやく一夜明けた26日朝、市の給水車に被災者が長い列をつくりました。
 同じ門前地区でも、巨大な岩が道をふさぎ、陸路が寸断されたまま、今も孤立状態となっている深見地区。「若い人が4,5人残って、電気の状況をみている」(住民)。門前地区を含めた輪島市全体でも1万世帯近くが断水し、自衛隊が住民に水を供給しています。
 そんな状況の被災地を、溝手防災担当大臣が視察に訪れました。「下水道が心配ですね」(溝手防災担当大臣)。30分で被災地視察を終了した大臣。被災者の苦しみを実感できたのでしょうか。」

ちなみに、地震被害が大きかった輪島市の下水道普及率は、35.8%。輪島市の近隣の珠洲市のそれは、28.4%、七尾市は23.5%、志賀町は16.3%、穴水町は25.5%、能登町は30.8%である。下水道であれ、自家浄化槽であれ、確かに水がなければトイレは使えない。不便ではある。しかし、水さえあれば何とかなるのである。私が視察した中越地震の被害が大きかった小千谷市では、消雪パイプの水を使って汚物を流していた。下水道を使えないと伝染病が発生する恐れがある。だから下水道の復旧を急がなければならないというのは、地震対策マニュアルにはあるのだろう。間違ってはいないが、緊急の最重要課題であるかとうかというと疑問だ。災害対策の最高指揮官の判断としては、トンチンカンなのである。

能登半島地震の死者はいまのところ、1名である。だから安倍首相以下は、大災害だと思っていないのであろう。その使い走りとして派遣された溝手大臣も、要するにとりあえず視察に来ただけなのだ。だから補佐する事務官が用意したトンチンカンな作文を読んでいるだけなのだ。上記の論文で私が強調しているのは、「災害は千差万別である。災害対策の最高指揮官が、災害の全容を把握した上で問題を総合的に判断し、政治的な対策を講じなければ真の災害対策にはならない」ということである。今回の溝手大臣の発言は、安倍内閣の災害対策に対する無定見を明らかにするものである。安倍内閣の各種の対策は、万事にわたりこうした無定見が多すぎる。参議院選挙の目玉にしようとしている“新人材バンク”構想も、きわめて無定見なところを感じる。このことは別に述べなければならないだろう。

それでは、また明日。

  • 07年03月28日 02時29分AM 掲載
  • 分類: 2.国内政治

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