流れは滔々と……
12年06月09日
No.1504
わが国の政治は、主義主張・原理原則を厳しく激突させ、血みどろの闘争をする方ではない。日本人の暮らし方と同じように、どちらかというと、マイルドに進行するタイプだ。だからといって、わが国の政治は決して無原則ではないし、無定見でもない。国民の政治的コンセンサスは自然と形成され、その流れに従って、日本という国は動いていく。半世紀にわたり、私は日本の政治を見てきたが、これが私の感想である。
わが国の政治を司る者は、このことをキチンと解して
いまシャカリキに消費税を10%にしようとしている野田首相は、「いったいどの面さげてそのような言動ができるのか」と、多くの国民は呆れ返っている。野田首相は“政治生命”を懸けて、消費税を10%にするといっている。しかし、野田首相の政治生命が、いったいどうしたというのだ。多くの国民にとっては、野田首相など、そもそも最近の人だ。あまり知らない政治家が“政治生命”を懸けると息巻いても、「どうぞご勝手に」ということだ。これは、民主党全体にいえることだ。
自民党・公明党は、平成21年の総選挙で、消費税を10%にすると、確かに公約に掲げた。そして、大惨敗して政権から追われた。国民の多くは、自民党と公明党を支持しなかったのだ。自民党と公明党は、消費税を10%にと主張することが許されると考えているようだが、心得違いをしている。消費税を10%にと主張するのは自由だが、国民から信任を得た訳ではない。総選挙で、消費税を10%にすると堂々と公約に掲げ、国民の過半するの支持を得てはじめて、堂々と政治的に主張できるのではないか。
自民党と民主党と公明党の全部を合わせれば、確かに、国会の過半数をはるかに超える。しかし、自民党も民主党も公明党も「消費税を10%にするという政治的信任」は、国民から負託されていなのである。それなのに、あたかも当然のように消費税を10%にしようとしている。自民党は、消費増税法案を通して解散総選挙せよと、民主党に迫っている。同じようだが、話は全然違うのだ。
消費増税法案を通してしまえば、消費税は10%になるのだ。自民党や民主党がいなくなっても、税務署は、せっせと国民から税金を徴収するのだ。すべて国民の福祉のために使うという税金なら、それを訴えて、過半数の支持を得て堂々と税金を頂き、そして、立派な福祉政策を実行すればいいだろう。その自信がないから、ドサクサ紛れに消費税を上げようとしているのだ。どちらも、心根が卑しい。
話はガラッと変わるが、原発問題も同じであろう。福島第一原子力発電所の惨状を見て、多くの国民は、原子力発電の是非をいま、“真剣に”考えている。これは、文明史的な悩みである。それは、必要な“国民的な悩み”なのだ。多くの国民は、原子力発電に依拠しない文化的な生活を、真剣に模索し始めているのだ。「手に入るモノを工夫し、慎ましく生活することが、日本人の生き方・美徳であった」と、私は思っている。昨晩の野田首相の、大飯原発3・4号機の再稼働に関する声明は、あまりにもお粗末過ぎた。
いま、日本国民の前で進行している野田首相と自民・民・公の三党が行っている“政治的まやかし”は、国民の政治的常識を厚顔無恥に
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。