付加価値から取る税金
12年05月27日
No.1501
東京は、今朝から良い天気だった。これも今日までくらいで、天気は崩れてくるらしい。梅雨前線が、沖縄から北上している。個人的な願望だが、梅雨入りはできるだけ遅くなって欲しい。今年は、五月晴れの日が3日ともたなかった。日本人には、やはり五月晴れが必要なのだ。天気が良くないと、元気が出ない。自由主義社会は、国民の頑張りによって国富が増大するのだ。
今朝、NHKの日曜討論を見た。8政党の政策責任者が出演していて、消費税の増税にハッキリと反対する政党もあった。しかし、国会での勢力はごく僅かだ。こういう状態では、野田首相が政治生命を懸けている増税法案が通る可能性は、大きい。政治的には、民主党の裏切り以外の何物でもないが、政治を長い間見てきた者に言わせれば、このようなことが普通に通るようになったのだ。その原因は、国民の政治的資質と言わざるを得ない。
増税勢力は、最近ギリシャ危機を取りあげて、財政再建のために消費税の増税が必要だと言い始めた。あるアメリカの格付け会社による日本国債の格付け引き下げが、大きく報道された。財政再建は大切だが、財政再建を真剣に考えるならば、国政全体の支出全体を全面的に見直すのが基本である。「社会保障と税の一体改革」の特別委員会で、財政支出全体の見直しなど、少しも議論されていない。
この際、社会保障の支出見直しは必要だが、社会保障以外の支出を見直すことは、もっと重要である。私に言わせれば、わが国の財政支出は無駄の固まりである。そういう目でみれば、財政支出は大幅に減額できる。財政支出と税収の乖離を増税で埋めることは、わが国の過去の経緯をみれば、極めて困難なのである。財政支出は政治が決められるが、税収は、国の経済によって決まるのだ。
“成長戦略”という言葉が、世界中のあちこちで最近使われいる。日本では、公共事業が成長戦略として使われた。フランスでは、公務員を増やすことが成長戦略だという。財政で雇用や物を動かせば、一時的に表面上はGDPは増える。従って、税収も増える。しかし、その原資が税金である以上、財政再建に寄与せしめるのは難しい。政治が経済を成長させるのは、非常に難しい。暗愚な政府に、できることではない。
経済を成長させるのは、市井の経済人・商売人である。政治の役割は、その経済活動を支援することである。支援ができなければ、最低その邪魔をしないことである。わが国の現状は、どうであろうか。規制と経済活動の邪魔をすることを職務と思い込んでいる役人が多い。小泉改革で大きな損害を被ったのに、経済人には規制緩和をして欲しいという声が圧倒的に多いのが、そのことを証明している。
行政や役人の行っていることがこのようなものならば、そのような分野にこれ以上お金をやる必要はない、と私は思っている。国や地方自治体は、余計なことを行うのではなく、国民を豊かにすることである。消費税の本質は、国民の付加価値(労働所得)から容赦なく税を取るものである。本来ならば、付加価値を生じさせた者に帰属する所得を、国が収奪するのである。所得が多くなれば、消費に廻る。消費が増えれば需要が生まれ、供給が増える。
国民を豊かにすることが、政治の仕事である。「国民が豊かになる中で慎ましい行政を行うのが、自由主義社会の行政・政治である」というのが、自由主義者である私の信念である。この不景気の中で、国民は必死に頑張っている。それでも、生活はギリギリである。そんな中で、必死に働いて得た労働所得から“政治生命を懸けて12・5兆円を取る”と、わが国の首相は叫んでいる。笑えない、信じられない政治光景である。
もう一度いう。消費税とは、消費にかける税金ではない。働いて付加価値を生んだ者から取りあげる税金なのである。付加価値に対して、消費税という名目でこれを現実に払うのは、付加価値を生んだ事業体(会社・商店など)なのである。この時点で国民の所得が官のものになるのだ。同じお金でも、民間から官に移った段階で正常な経済活動から離れ、塩付けになってしまう。
官に移ったお金は、先に述べたように、経済活動に寄与することは著しく少なくなってしまう。いや、経済活動を阻害することにも使われてしまうのだ。私は、国益をやけに強調する者をあまり信用しない。国の財政が破綻すると強調する者も、国益を強調する者と大差ないと思った方が良い。財政再建を主張するならば、なぜこのように国債残高が増えたのかを、まず総括してもらいたい。増税で財政再建など、残念ながらできないのだ。
それでは、また。