消費税論議の肝
12年01月22日
No.1533
あれだけ騒がれていた地球温暖化は、いったい何なんなのであろうか…と、思われるような寒さが続いている。この程度の寒さや雪は、昔からの日本の冬なのである。特段、問題にすることではない。いっぽう、政治の話といえば、消費税の増税の話ばかりだ。討論番組に登場する論者は、増税賛成派が圧倒的に多い。いくら強がりをいっても、その実態は、ガタガタの野田首相がいくら叫んでみても、増税などできる筈がない。しかし、財務省がついていると、マスコミの論調はこうなるのだ。そうすると、化け物が出てくることもある。要注意。
2012年が動き始めた。今年は、どのような業界・分野でも厳しい年になると私は予想していたが、読者が携わるところでは、どうだろうか。私が携わっている債務整理の分野でも、状況は厳しい。個々の案件は、ますます難しくなっている。それは覚悟していた。だから、私は、年当初から必死に働いている。努力すれば、それなりの成果は上がっている。それに満足するしかないのではないか。
こういう時は、あまり右往左往することなく、ひたむきに努力を積み重ねるしかない。政治も同じだ。さまざまな動きがあるが、しばらく静かにじっと見ていることが肝要である。そうすると「本物は何か、本当に必要なものは何か」が見えてくる。野田政権は、社会保障と税を一体的に改革するといっている。日本にとっても、国民にとっても良いことをやるのだと言っているのだが、社会保障をどう改革するというのだろうか。そもそも、これまで政府が行ってきた社会保障そのものをゼロベースで見直す必要がある。
「消費税の増税は必要だが、その前にやるべきことをやれ!」という主張が多いが、こういう意見の本音は、消費税の増税に反対なのだ。行革や無駄遣いの根絶など賽の河原の意石積みだ。どんなにやっても終わりのない話なのだから。あくまでも増税とそれによって受けるベネフィット(利益)を国民が自分の事として冷静に考えてみることが必要なのだ。消費税の増税反対が70%になるのは、必然なのだ。まやかしなど通じないのだ。
自由主義者は、基本的に増税に反対である。自由主義は、権力に対する猜疑から始まった。わが国の国家権力(その実は、“官僚の、官僚による、官僚のための”官僚機構)に猜疑を持つなという方が、無理であろう。社会保障に限らず、官僚の行うことを全部見直す必要があるのだ。今回の消費税に関する議論は、詰まるところ、ここに収斂させなければならない。自由主義者にとっては、揺るがせにできない闘いだ。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。