失われた20年とは !?
11年10月30日
No.1519
いつも多くの方からアクセスして戴くのに、永田町徒然草をなかなか更新できなくて、申し訳なく思っている。しかし、いまの私には週1回位の更新が精一杯なのである。現在の私の仕事は、多くの多重債務者を救済すること。それが、本業なのだ。この不景気の中、多くの多重債務者が置かれている状況は極めて深刻であり、そのサポートは、とても生半可な覚悟でできるものではない。私は日々、文字通り必死に、その職務に取り組んでいるのである。だから、政治向きの話など、している時間がないのである。
多重債務者が置かれている深刻な苦境には、かなり個人的な特別な事情があることは、否めない。しかし、個人的な特別な事情を抜きにしても、現在の多くの国民が置かれている経済状態が根底にあることだけは、確かである。そして、多重債務に陥ってしまった根本的な原因は、“平成貧乏”にある。“平成貧乏”は、いろいろな形で表現できるだろう。“平成貧乏”の基本的な原因は、約20年間にわたり、わが国の経済成長率がゼロだったということである。どうしてそうなったのかはいろいろな原因があるが、その最終的な責任は、政治にある。
世間は、政治が短期的な景気対策を実行することによって不景気を克服することができると期待しているが、私の考えは異なる。政治家たちが言うほどには、政治は、当面の短期的な経済に対抗する力など、ない。例えば、“歴史的な円高”ひとつでさえ、政府がやれることは、意外に少ないのである。安住財務大臣は「円高が異常になった場合には、断固たる措置をとる」と息巻いているが、円高は一向に治まらない。あたかも伝家の宝刀を持っているような口癖だが、それがあるのなら、いま抜かずしてどうするのだ。
政治は、当面の短期的課題に対しては、このように意外に無力なのだが、5年、10年の経済的な課題に対しては、大きな力を持っている ── 否、長期的な経済政策が功を奏すれば、必ずその成果を挙げることができるのだ。それができない政府は、無能といわれても仕方がないだろう。この20年間、時々の短期的な経済問題に、政府はいろいろな“経済対策”を打ち出してきた。だが、短期的な思い付き程度の「経済対策」であったが故に、そもそも、意味のないものであったのだ。
失われた20年とは、別な表現をすれば、「この20年間、わが国の政府は、根本的な経済政策を実施してこなかった」ということではないのか。「何が、わが国の経済を成長させる政策なのか」は、経済の専門家に委ねるしかないだろう。わが国には、あまたの経済の専門家がいる。しかし、経済政策を実施するのは政治である。経済に強い政治家が、倦まず弛まず的を得た経済対策を実施するしかない。いま、不況のど真ん中にあるこそ、私も、及ばずながら折に触れて、いま本当に必要な施策とは何かを述べてみたいと思っている。
それでは、また。