民を信じ、民に由(よ)れ。
11年03月14日
No.1465
大規模の災害が発生した場合、被害者と救援する方の役割分担が必要になる。なぜなら、大規模災害の被災者の忍耐はどうしても長期化する。救援や復興は大規模となり、長期の期間が必要となる。そして、その費用も膨大となる。
甚大な被害に耐え、これを克服するのは、基本的には被災者の個々の力しかない。行政も他者も所詮は、支援する者に過ぎないのである。被害者は、精も根も尽き果てるほど苦難をしなければならないのだ。他者はこれを、ほんの少しだけ支援することはできる。だが、それも、健康で元気であればこそ。そうでなければ、支援などできない。被災地や被災者は、ギリギリの中で苦難を乗り越えなければならないのだ。
未曾有の大災害を支援する者も、ギリギリの中で必死に支援するのだ。支援する者は、健康で元気だからこそ、被災者を支援できるのだ。だから、支援する者は、できるだけ健康で元気でなければならないのだ。健康で元気な地域や人々を、政治はサポートしなければならない。そうでなければ、支援もままならなくなるのだ。
今回の東京電力の計画停電は、健康で元気な地域の経済や生活や社会秩序を損なう。今日から計画停電が実施されるため、「今日の出勤はできるだけお控えください」というテレビ放送があった。午前5時過ぎから、枝野官房長官の計画節電に関する声明があった。「計画停電の地域でも、停電がない場合もあるし、停電がないかもしれない」というようなことを言っていた。どうも要領が分からない。「計画節電が実施されない地域でも、最大限の節電をお願いしたい」とも言っていた。
東京電力の電力供給量は、最大1000万キロワット前後の電力不足が生じる程度なのだ。最大必要電力4000万キロワットの、4分の1程度に過ぎないのだ。この程度の節電は、政府や東京電力が必死に首都圏の住民に呼び掛ければ、東京電力管内の住民は、必ず節電目標を達成するであろう。それが信じられないのは、東京電力にも政府にも、国民に対する信頼がないからなのである。
私は地震の起こった3月11日の夜、白川勝彦法律事務所のある港区西新橋から北青山まで歩いて帰った。車道は、自動車が超混雑していた。ほとんど動いていないという状態だったといっても良い。それにも関わらず、歩道を歩いている人たちは、歩行者信号が赤に変わると車道を渡るのを止めるのである。これには驚いた。私はこれを見ているだけに、計画節電など最悪の選択だと思わざるを得ない。
要するに、未曾有の大災害に処する術は、「民を信じ、民に由(よ)れ」ということを私は言いたいのだ。民主党の政権運営が国民の信を失ったのは、結局は「民を信じ、民に由(よ)れ」という単純なことが出来なかったからなのである。名古屋市議選で「減税日本」が大躍進したのも、川村市長が「民を信じ、民に由(よ)れ」ということを愚直に実行してきたからではないのか。口では国民目線とか政治主導というが、「民を信じ、民に由(よ)れ」ないのは菅首相を筆頭とする民主党の議員らではないのか。喝!
P.S. 例によって我が家のインターネット接続の不具合でまごまごしていてupdateが遅れていたところ、6時半になって電力需要を精査した結果、見込み違いで今日は第一段の“計画節電”を見送ったという報道があった。何ともお粗末、かつ迷惑な話だ。喝!!!