政治家の覚悟とは…。
09年10月26日
No.1326
先週の私は少し忙しすぎた。正直にいって、少しバテ気味だった。そのため永田町徒然草も散漫だったと思う。読者には申し訳ないと思っている。にもかかわらず、白川サイトのアクセスは増えているのである。ハッキリいって、総選挙の投票日直前のアクセス数とほぼ同じなのである。長い間白川サイトを運営しているといろいろなことが見えてくる。永田町の動きに不可解な事があるとアクセス数は増えるのである。
以前は自民党の動きに何か変わったことがあると白川サイトのアクセスは急に増えたものである。このところ自民党の動きは可哀そうなほど静かである。従ってアクセスが増加する理由は、別なところにあるようだ。そうすると最近の鳩山内閣や民主党の動きに原因があるとしか思えない。この間、私はおかしいと感じることに、極めて婉曲にしか苦言を呈してこなかった。鳩山内閣や民主党の動きが少しおかしいぞと思うのは、どうも私だけではないようだ。
多くの人々がおかしいと感じることは、いったい何なのだろうか。それは民主党が総選挙の際に掲げた「国民の生活が第一」ということから外れているからである。「国民の生活」の実態について、民主党の議員は本当に知っているのだろうか。もちろん国民が生活に関してもっている不平や希望は複雑多岐である。相矛盾することもある。しかし、その実態にまず耳を傾けることである。解決方法が簡単にある訳じゃない。だが生活に対する国民の不満や要望を聴かないことには何も始まらない。
政権を獲得したからといって直ぐにできることなど意外に少ないことを、民主党議員たちはいま感じているところであろう。それでも生活に対する国民の不満や要望に耳を傾けなければならないのだ。ときには苦悩に喘ぐ国民の訴えをただ涙して聴くことしかできない場合もあろう。しかし、それでもそれを行わなければならないのだ。その中から何が取り除くべき“一害”かが見えてくるはずだ。民主党が理念として守らなければならないことが分かってくるのだ。
取り除くべき“一害”を掴んだら、あとは官僚に命じてそうさせることなのだ。それが“政治主導の行政”というものである。官僚はいろいろな理由や屁理屈を述べて抵抗するであろう。官僚がいうことにも正しいことがあるかもしれない。しかし、政治家は実行を命ずればよいのだ。ただ忘れてはならないことは、その責任を自分が負う覚悟をもつことだ。その覚悟が政権党の政治家の覚悟である。この政治家の覚悟が欠けていることに今日のおかしなことの原因があるようだ。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。