鳩山内閣の閣僚の任務
09年09月16日
No.1290
今日いよいよ鳩山由起夫氏が内閣総理大臣に指名される。そして鳩山内閣が発足する。夕刻からその顔ぶれが取沙汰されていたので、昨夜も真っ直ぐい自宅に帰って報道をみていた。次々に顔ぶれが発表されていたが、それは秘密なのだそうだ。外に漏れると取り消されるかもしれないと釘を打たれているのだそうだ。そうすると今朝報道されている鳩山内閣は幻なのかもしれない!? そうだとすれば鳩山首相は二度も人事権を行使できるので好都合なのであろうが…(笑)。
鳩山内閣の顔ぶれが次々に決まっていくと、きっと多くの国民の興奮は次第に醒めていったのではないか。一昨日のイチローの場合とは大違いだ。しかし、内閣の人事など所詮はそんなものである。それにしても大臣就任が“ほぼ決まった”らしい政治家の顔はとても嬉しそうであった。実に素直で単純なものである(笑)。だが官僚主導の政治を廃し、自らが各省庁のトップとしてリードしていかなければならないことを考えれば、喜んでなどいられないと私は思うのだが…。
これまでの行政は官僚たちが培ってきた知識や経験で行ってきた。新しい内閣はこれを政治主導で行おうというのだ。これまでのやり方を全部変えるというのか。それとも間違っていたことだけを改めさせるというのか。Aというやり方が間違っていたと断定するのは、かなり難しいことである。それをBというやり方に変えることもなかなか難しい。BではなくCやDというやり方もあるからだ。議論をしてみてもこれが最善だという結論に達することは、それほど簡単なことではない。最後は大臣が“政治の意思として”結論を示さなければ決着しない。政治決断の責任は大臣自らが負わなければならないのだ。その責任はきわめて重い。
官僚政治の打破を標榜する鳩山内閣の閣僚を引き受けたからには、その決断をしなければならないのだ。“政治の意思”といっても結局は“大臣自らの意思”である。いちいち鳩山首相が決断を下す訳でもないし、また鳩山首相にその責任を押し付けてはならない。一人ひとりの大臣が“ゾッとする”決断をしたとき、鳩山内閣は国民を“ゾッとさせる”ことができる。革命とは、本来“ゾッとする”ものである!!
それでは、また。