革命前夜…!?
09年07月25日
No.1237
今回の総選挙における最大の争点は、政権交代である。具体的には、これまで政権を運営してきた自公“合体”政権を打倒することである。自公“合体”政権が打倒されれば、たぶん新しい政治が始まるであろう。単純なことだが、政治は人間が行うものだからである。どのように政治を変えるかということで、いま盛んにマニフェスト論争が行われている。だが、マニフェストをめぐる論争が政権交代の意義を矮小化していないか。
「わが国においては、政権交代は“ひとつの革命”である」と私は一貫して主張してきた。自民党は確かに長い間政権党であったが、資本家や地主などという“支配階級”が作ってきた政党だったのだろうか。わが国に資本家や地主がいない訳ではないが、支配階級を形成するほどその数は多くないし、力も強くない。わが国でもかつては厳然と支配階級として存在していたが、戦後のGHQ改革で没落してしまったのだ。わが国の資本家も地主も、言うならば没落貴族のようなものである。
しかし、没落貴族といえども貴族である。それなりの誇りと影響力をもっていた。新興資本家や新興地主は生まれたが、彼らは没落貴族と同じようなマインドをもっていた。これに追従する庶民がいたことも事実である。こういう人々が様々な小社会を形成し、そのリーダーとなった。そのようなモノが全体として自民党を支援し、自民党は多数派を形成してきたのである。創価学会は没落僧侶に反抗する宗教団体として大きくなってきたが、政権をもっている自民党と結託することにより新興僧侶たらんとした。 いまや自民党と合体し、自公“合体”政権を支えている。貴族・資本家・地主・僧侶などと役者がそろうと、なんだかフランス革命と様子が似てくる。
こういう人々が仕切ってきた日本という国が、閉塞感に覆われてしまったのである。閉塞感だけでなく国民生活を閉塞させてしまったのだ。国民を中流階級と錯覚させていたのだが、その虚像がばれてしまったのだ。それが現在のわが国の現状なのではないか。下層階級だけではなく中流階級をも、自公“合体”政権は怒らしてしまったのだ。公明党と連立したことにより、自民党は宗教界の信頼と支持を失ってしまった。創価学会を除き宗教界は経済的に大きな力をもっている訳ではないが、依然として社会的・精神的な影響力をもっていることを自民党は忘れてしまったのだ。
このような閉塞感と閉塞してしまった現実に、国民は怒っているのである。このような現実を招来してしまった自公“合体”政権は、その責を免れることはできない。俗な言い方だが、“天罰がくだる”のは已むを得ないのだ。道路特定財源の暫定税率をめぐる論争で、天人ともに許しがたい所業を行えば必ず天罰が下ることを懇切丁寧に忠告してきたのだが、自公“合体”政権は3分の2条項で強行した。白昼堂々の30兆円の強奪をやってのけたのだ。である。参議院で否決された法案を3分の2条項で成立させたことで、自公“合体”政権は国民と決定的な溝を作ってしまったのだ。
いまさらお詫びされても反省して貰っても、もう遅い。麻生首相は一世一代のパフォーマンスで国民に対してお詫びも反省もしなかった。彼は自民党に対してお詫びと反省をしただけなのである。その麻生首相や自民党が、「財源はどうするんだ」と民主党の政策に難癖を付けている。これだけの借金を作っておいて、「財源はどうするんだ」とはおこがましい。麻生首相は“安全安心実現解散”だと言った。全国の各選挙区に候補者を擁立している“幸福実現党”のようである。已んぬる哉。
それでは、また。