已んぬる哉。
09年07月22日
No.1234
2009年7月21日予告どおりの解散が行われ、総選挙の日程が確定した。テレビなどでは、早くも総選挙の時のようにマニフェスト論争すら始まっている。この1週間私がいちばん注視していたのは、自公“合体”政権内部の動きであった。いろいろと思わせ振りの言動があったが、結局は何も起こらなかった。いや、起こせなかったのだ。
自公“合体”政権がおかれている都議選後の選挙情勢は、きわめて深刻である。先週から昨日までに発売された週刊誌などの総選挙の予測は、いずれも自民党惨敗であった。まだ私は総選挙の予測をしていないので、週刊誌などの予測が正しいかどうか論評しない。総選挙の予測はそれほど簡単じゃない。そして、総選挙を予測する判断材料は、まだ出揃っていない。先週の自公“合体”政権内部の動向は、重要な判断材料だったのだ。だから私はこれに拘ったのだ。その結果が出た。
解散総選挙は、麻生首相が予告した日程通りに行われることになった。昨日の麻生首相のパフォーマンスは、麻生首相をはじめとする自公“合体”政権の幹部らが考えていたものなのだろう。誠に“時代ががった大そうなもの”であった。だが、率直にいってアナクロニズム(時代錯誤)以外のナニモノでもない。中川秀直元幹事長が、解散前に行われた自民党代議士会で見せた麻生首相との握手のシーンも、誠に時代ががったモノであった。あんなダサいパフォーマンスは、自民党の中でしか通用しないことが分からないのだろうか。
解散予告をした直後に、麻生首相は「表紙や包装紙を変えてもダメだ。正面から断固として戦わなければならない」とのたまった。他の人が言うならばいざ知らず、これは麻生首相が言うべき言葉じゃないだろう。漢字が読めないだけじゃないのだ。日本語が解せないのである。空気も読めないのである。麻生首相の言動が、ここまで自公“合体”政権を窮地に追い込んできたのだ。それはこれからも変わらないであろう。その麻生首相を先頭に立てて、“一致結束、一致団結して戦う”ことを自公“合体”政権は全員で決めたのである。已んぬる哉、已んぬる哉。
已んぬる哉(やんぬるかな): もうおしまいだ。今となってはどうにもしかたがない。<広辞苑>
民衆革命を行おうというのが、私の立場である。あの麻生首相を先頭に立てて自公“合体”政権は一致結束して戦おうというのだから、舞台設定としては最高となった。麻生首相としては乏しい知恵を総動員して、昨日のパフォーマンスを考えたのだろう。これから大切なことは、民主党を中心とする野党が配役と台詞を間違わないことである。いくら大状況はできたとしても、小状況における失敗が重さなると全体の戦局に影響が生じる。民主党などの野党が念頭におかなければならないことは、万事において“大胆かつ慎重に”だ。これが今日の結論である。
それでは、また。