残された唯一の道
09年07月15日
No.1227
関東甲信地方が梅雨明けした。よく関東甲信越といわれるのだが、今回は“越”が抜けている。そうなのだ。私が生まれ育った新潟県では、7月20日ころまで梅雨はなかなか明けてくれなかった。なぜハッキリと記憶しているかというと、私の生まれ在所の社(やしろ)のお祭りがあるのだ。“十七夜”といい、7月17日は夜祭で、翌18日に神輿が出るのだ。子供の頃、神輿が出ることは大きな楽しみだった。雨が降らないように祈るのだが、ちょうどその頃に最後の梅雨の雨が降るのだ。雨が降ると神輿の練り歩きが不具合となる。十七夜が終わると、熱い夏の太陽が照りつけてくるのだ。
昨日、結局大したことは起きなかった。古賀誠選挙対策委員長が辞意を表明したくらいだ。「さぁ、これから選挙だ!」という時に、選挙対策委員長が辞めてどうするのだ。古賀氏の辞任で、15議席くらい自民党は議席を失うであろう。そんな人物を選挙対策委員長に据えていたのであるから、麻生首相は人を見る目がない証拠だ。そんな麻生首相を皆で選んだのだから、自民党や公明党はやはり頓珍漢だったのである。
「頓珍漢の始まりは、福田首相の選出だった」と私は一貫してみてきた。一昨年の参議院選挙の歴史的大敗をどう受け止めるかという認識と覚悟が甘かったのである。あの時点なら、まだ間に合った。しかし、自民党や公明党は福田康夫氏を内閣総理大臣に選んでしまったのだ。どこが頓珍漢だったかというと、解散総選挙に打って出られない首相を選んでしまったのである。モラトリアムを選んだのだ。しかし、政治にモラトリアムなど許されない。
1年余を自公“合体”政権は無為に過ごしてしまったのだ。そして最後に選挙には強いと思った麻生首相を選出した。しかし、いろいろな所で綻びかけていた自公“合体”政権を立て直すには、もう時間がなかったのだ。漢字が読めなかったことなど、大したことではないと私は思っていた。自公“合体”政権が抱えている問題点を全く理解していなかったことに、麻生首相の最大の問題があったのだ。
自公“合体”政権は、“一致結束”して滅亡への道を日々確実に歩んでいる。それが望みならば一向に構わないが、長年の友情でひとつだけアドバイスしておこう。今日の苦境から脱する道は、ひとつしかない。“決死の行動”のみである。何が決死の行動かは、自分の頭で考えてみよ。永田町徒然草No.522 「“本目候補”はいたのである!?」は、きっと参考になると思う。対する民主党も、念のため読んでいた方が良いと思うのだが…。
それでは、また。