ピンチはチャンスなのだ。
09年05月11日
No.1161
昨日の日曜日、東北地方の一部を除き全国的に晴天のようであった。東北以南の地域ではどこも今年一番の暑さであったという。私は“完全休日”だったので、外にも出ずにグウタラと過ごした。家の中では、暑さを感じることはなかった。夕食をとりに出かけたのは夜8時過ぎだった。心地よい夜風が吹いていた。ねぎラーメンと餃子のメニューだった。
選挙はなんとなく遠ざかったような感がする。たぶん都議選後ではないのか。大した根拠がある訳ではないが、どうもそういう雰囲気である。5月解散6月総選挙ならば、もっと緊迫感がある筈だ。麻生首相はやけに元気付いているが、もうチャンスを逸している。勝負に打って出るチャンスなど、何時もほんの一瞬しかないのだ。麻生首相が打って出て勝てるチャンスは、予算成立後直ちに解散することだったのだ。だからもう選挙は終わっていなければならないのだ。そうしていたら僅かだが勝機はあったかもしれない。しかし、もう後の祭りだ。
戦後最大の14兆円の補正予算を通そうが、サミットに出席しようが、自公“合体”政権に勝ち目はいまのところない。しかし、民主党にも自公“合体”政権を過半数割れに追い込み、民主党を中心とする政権を樹立できるという確証はたぶんないと思う。小沢事件が起こる前は、民主党が総選挙で勝利するという高揚感があった。そういう高揚感にも後押しされて民主党はやけに元気付いていた。だが、それも確証のない高揚感に過ぎなかった。どうであれ、現政権を倒すということは大変なのだある。倒してみて初めて安堵することができるのだ。
与野党の候補者とも死に物狂いの戦いをそれぞれの選挙区で展開していることであろう。どの候補者も“完全休日”など無縁であろう。それは已むを得まい。血反吐(ちへど)を吐いて戦い抜くしか道はない。ちょっと前まで自民党は麻生首相では戦えないと言っていた。最近は民主党の候補者が小沢代表では戦えないと言っている。政権を懸けた総選挙において、党首は問われている政権と一体である。選挙で勝った方の党首が内閣総理大臣を務めることになるのだ。
誰が党首ならば選挙に勝てるか、というのは論理が逆なのではないか。党首というのはそんなに軽い存在なのか。どのような党首でどのような政権を樹立するかということが肝心なのだ。自公“合体”政権側には、現実には麻生首相しかいなかったのである。民主党を中心とする野党陣営には、小沢民主党代表しか現実にいないのである。それが両陣営の実態であり、実力なのだ。トップを代えたからといって勝敗が左右するものではないと思う。そのようなトップを選出したのだから、いまさらしょうがない。
小沢代表のマイナス・イメージは、事の本質を正しく捉えるならば十分に克服できるだけではなく、民主党の支持拡大に転化することができるのだ。ピンチはチャンスでもあるのだ。残念ながらそのことに成功していないが、それも民主党の資質の問題であり、実力でもある。まだ間に合う。戦略と戦術を大胆に見直す必要がある。その試練を克服してこそ、民主党は政権交代に値するする政権を樹立することができるのだ。最後の最後まで戦いは続く。
それでは、また。