フォトエッセイ 即写寸言
電車が到着するとこうなります。

電車が到着するとこうなります。手前のドアがまず開き、それから電車のドアが開きます。そして乗客が降り、新しい乗客が乗ります。これは乗客の昇降が終わり、発車する直前です。<東京メトロ丸の内線の東京駅にて撮影。>
[大きな画像で見る]これは“怪文書”ではありません!!

ちょっと落書きがしてあるがこれはわが町内のれっきとした掲示板である。その掲示板に貼付されているポスターである。小さいが「みなと清掃事務所」と書いてある。決して偽りのポスターではない。
ゴミの分別収集は、プラスチックと燃えるゴミとの分別収集から始まった。いまや分別収集のキメの細かさが環境問題をはかる尺度にさえなっている。環境問題はいまや“文化水準”でさえある。ところが“花のお江戸”では、プラスチックは不燃ゴミではないのである。
確かにプラスチックはちょっと高温にすれば確かに燃える。元々は石油から作ったものであるから燃えるのは当たり前である。しかし、そういわれたのではこれまで何のためにプラスチックと燃えるゴミを分けるために苦労してきたのかといいたくなる。プラスチックと他の物を分別することは、分別収集ひいては環境問題の原点であり、象徴なのである。
こんな重要なことを東京都が環境省と相談しないで行える訳がない。ということは、プラスチックを「不燃ゴミ」としてきたことはこのようにいい加減なことなのである。道路特定財源を一般財源化して環境対策に使おうという論者はこの現実を直視しなければならない。環境省などに任せていたのでは、どのように使われるのか分ったものではない。
環境税はその目的を明確にして、誰にどのように負担してもらうかのか国会で真剣に議論した上で導入しなければならない。道路財源を一般財源化して環境対策として使わせることを安易に認めたら、道路特定財源と同じように必ず出鱈目に使われることになる。このように道路特定財源の一般財源化には、問題があるのである。
[大きな画像で見る]※タイのレストランで

これは世界的にも有名なオリエント・バンコク・ホテルのテラススタイルのレストランである。昼下がりであった。観光客とおぼしき多くの白人がお茶をしていた。このホテルはさすがに凄かった。今度来る時は、ここに泊まりたいものである。もっとも私が泊まったホテルの7~8倍位するらしいが・・・(笑)。
ホテルが素晴らしかっただけではなかった。周辺のロケーションも良いのである。皇居前広場に面しているわが国の帝国ホテルと同じである。そういうことを含めて料金は高いのであろう。私が泊まったホテルとは、こういうところか相当に違った。
昼食をとる。

私もオリエントバンコクホテルで昼食をとらせてもらった。やはり素晴らしい食事であった。特に紅茶が美味しかった。パンやビスケットにちゃんとバターやジャムも付いてくるので、それだけで十分に昼食になったのだが、私はタイの麺を頼んだ(くれぐれも辛いのを抜きにと念をおして)。
よく写っていないが、このように開放的なところではちゃんと灰皿が出てきてタバコを吸えるのが嬉しかった。喫煙に厳しいタイではあるが、要するに受動喫煙を禁止しているのである。このようにコンセプトがハッキリしているところが良い。日本もこれを見習ってもらいたい。
民族衣装を着た麗しき女性

戦場に架ける橋の鉄橋の傍の川べりにレストランがあった。そこで昼食をとることにした。そのレストランの入り口で私たちを迎えてくれた民族衣装を着た麗しき女性。タイの民族衣装を知らない訳ではないが、暑い中で昼間見るとすごく落ち着いて見えた。民族衣装をみる場合のひとつの大事なことなのかもしれない。
[大きな画像で見る]立礼でお客を迎える二人の女性
旅の記念に
※カツヒコ、『戦場に架ける橋』に往く。

アユタヤはあまり農村部ではなかった。地方を見たいという私の願望は消化不良であった。そこで映画『戦場に架ける橋』で有名な鉄橋があるカンチャナブリに行くことにした。詳しくは、永田町徒然草No.737参照。
泰緬鉄道の鉄橋を臨む写真である。天候は晴れ。時刻は正午ころであった。本当はバンコクから鉄道で来るのが良かったようである。断崖絶壁の所に敷設された鉄道が見事とのこと。
[大きな画像で見る]○○川の川縁で

上の写真に写っている川縁で撮った写真。メコン川もチャオプラヤー川もそうだったが、東南アジアの河川は日本人には清流にはなかなか見えない。どうも藻のせいのようである。だから魚は成長が滅多矢鱈早いという。ところがこの川(名前を記憶していないのが残念である)は、非常にきれいな清流であった。こういう川を見ると私たちの心は急に落ち着く。
[大きな画像で見る]鉄橋のど真ん中で

泰緬鉄道の鉄橋のど真ん中で。日本人よりも白人の観光客の方が多かったのが意外であった。白人観光客の多くは、ヨーロッパからの人が多いという。かつて東南アジアの多くの国はヨーロッパ諸国の旧植民地だった。そんな関係なのであろうか。
[大きな画像で見る]待望の水田である。

カンチャナブリで待望の農村に立ち寄った。この辺の農村もずいぶん豊かになったという。まずは水田が一面に広がる光景を撮った。乾期であるので稲は植えていなかった。4月になればたぶん田植えが行われるのであろう。真ん中のビニール袋は鳥避けであろう。
[大きな画像で見る]水田の近くで一枚
※カツヒコ、アユタヤに行く。

とにかくバンコクの混雑と喧騒から離れ、もっと地方に行きたかったのでアユタヤに行くことにした。アユタヤはバンコクからチャオプラヤー川上流70キロくらいにある。自動車で2時間くらいで着いた。
アユタヤは1350年から1767年までの417年間、タイの首都があった。この写真はアユタヤ朝の王宮があったところで撮ったものである。現在の王宮と同じように、仏教的な遺跡と王宮の施設と思われる物が混在しているように思われた。木造の建物もあったと思われるが、礎石だけしかない。これは不思議なことではない。江戸城だって昔のものがそのまま残っているのは石垣だけだという。
[大きな画像で見る]首のない石仏

王宮内にある石仏は、このように首のないものが多くある。捨てられた王宮は荒れてしまい、盗掘や盗難で石仏の首がなくなったという。石仏全部では重すぎるので、頭部だけ持ち去ったらしい。
インドネシアのボロブドゥール遺跡を観たた時も、そこの石仏の頭部はすべて欠けていた。これはイスラム教徒に征服された時、宗教上の理由で破壊されたらしい。同じ首なし石仏でもこのように歴史がある。
[大きな画像で見る]あるワット(寺院)の石仏

タイではどこにいってもワット(寺院)がある。アユタヤ市内のあるワットに行った。このワットの石仏はこのように無事であった。黄色の袈裟というか衣というか腹当て(語彙不足!?)を着けている。それがなかなか新鮮であった。こうすると石仏にもぐんと気品がでてくる。日本のお地蔵さんの赤い腹当てとルーツは同じなのだろうか。
[大きな画像で見る]白川勝彦の日々のアルバム
2003年第43回衆議院総選挙や2004年十日町市々長選挙のデジカメ写真記録です。
国会TV 政治ホットライン出演記事
ちょっと動きが感じられるTVからのキャプチャ画像群で、番組を再現しています。
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