フォトエッセイ 即写寸言

※終にテレビがダメになる。

私の大事な情報源であるテレビが終に映らなくなった。『サンデープロジェクト』を見ようと思っていた矢先である。金融問題をやっていたのでどうしても見たかったのであるが、音声も聞き取れない。前々からBSも見れる液晶テレビを買おうと思っていたのだが、終にその時が来た。この写真は買ってきた液晶テレビを設置する前の写真である。before 前面である。

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'08年11月17日の01時54分に分類その他で掲載しました。

before 横

引退するテレビを横から撮った。このテレビは私が買ったものではない。家内が結婚前に買って見ていた物ではないか。大変な年季物である。これまでも時々故障していたが、テレビの上に物を置けるので、液晶テレビにあまり魅力がなかった。私の狭い部屋ではテレビの上は貴重な空間なのである。

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'08年11月17日の01時41分に分類その他で掲載しました。

after 前面

古いテレビを退けるのはいとも簡単だったが、買ってきたテレビを映るようにするのは極めて困難だった。住んでいるマンションには共同アンテナがあり、地デジもBSも見られると聞いていたので据え付けるだけでよいと思っていたのだが、とんでもなかった。2時間くらいして漸くBS放送だけ映るようになった。果たしてお年寄りが買ってきても見られるようにできるのだろうか。待てよ、私も立派なお年寄りか!? 

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'08年11月17日の01時31分に分類その他で掲載しました。

after 横

なんとか映るようになったので、取り敢えず設置作業を終えてテレビを見る状態においた。アナログテレビがおいてある状態より、鞄との間がずいぶん空いている。後にずらすとプリンターの紙が出てくるところにぶつかってしまう。BSとぼやけた地上波アナログ番組しか映らない。これは後日の課題だ。疲れたので作業はここまでとした。

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'08年11月17日の01時20分に分類その他で掲載しました。

※即写寸言、再開。記念すべき一葉

愛用のデジカメが修理から帰ってきた。また即写寸言を始めます。ご愛読のほどお願いします。

さて再開第一号はいささか刺激的な写真である。この写真が刺激的なのではない。2ヶ月前の写真と比較すれば、実に刺激的な筈である。これにはいささかの理由があるのであるが、それは後日永田町徒然草で報告する。

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'08年10月19日の12時40分に分類その他で掲載しました。

いかにも役人的なお仕事

上の写真の花壇の上部である。綺麗に草叢は刈られているがただそれだけのことである。いかにも役人的な仕事である(笑)。

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'08年10月19日の12時27分に分類その他で掲載しました。

1964年東京オリンピックの中央門には

以上は間違いなく1964年メインスタジアムの中央門前の写真である。現在この中央門はほとんど使われていないようである。だからほったらかしていたのだろうか。 しかし、やはりそれはないだろう。記念すべきものは記念碑として努力して保存するものである。そしてそれは記念碑となり名物となるのである。文化とはそういうものである。

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'08年10月19日の12時21分に分類その他で掲載しました。

※真夏の明治神宮本殿の正面の鳥居

明治神宮の中央にある本殿正面の鳥居である。この鳥居の先には正面の門がある。その正面に本殿がある。今日はその中の紹介ではない。鳥居と一緒に本殿と他の空間を隔する木塀と竹柵を紹介する。日本建築のひとつの考え方が分かるような気がする。私は本殿に入る前に塀の周りを1周してから、本殿に入り参拝する。

なお、この写真を撮ったのは8月3日久しぶりに明治神宮に炎天下の散歩に行った時である。永田町徒然草No.889「炎天下の散歩の効用」を参照されたい。

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'08年08月05日の01時56分に分類その他で掲載しました。

本殿を取り囲む塀

本殿正面の鳥居の左右にこのような塀がある。この塀と竹柵に関しては下で述べる。

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'08年08月05日の01時34分に分類その他で掲載しました。

塀はこのようなものである。

上の写真の塀(?)に着目して撮ったものである。これは柵ではなくてやはり“塀”なのであろう。この内側に廟の塀のようなものがさらにある。この塀の役割は、神聖な本殿と廟のような塀を守ることにあるのだろう。中にある廟の塀はもう少し塀らしい。この塀は隔てるだけの役割しかない。だから、隠してはいないのである。隔てているだけなのである。

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'08年08月05日の01時28分に分類その他で掲載しました。

竹の柵と燈籠

二つ上の写真の竹の柵に着目して撮ったものである。竹の柵は人の落下を防ぐための柵ではない。竹の柵の外は藪である。竹の柵はこれを遮ろうとしている訳ではない。隠そうともしていない。藪と一緒に見るとこれは一種の造形である。燈籠もその用はないのだ。通常夜に明治神宮の境内に入れない。だからこの燈籠に火が灯もることがない。しかし、この燈籠があることによって、この一角が美しい空間となる。

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'08年08月05日の00時54分に分類その他で掲載しました。

※東京オリンピックの表玄関は!?

8年後の東京オリンピックの招致の先頭に立って旗を振っているのが石原都知事である。オリンピック招致の理由として「あの東京オリンピックの感動を再び!!」という。確かに私たちの世代に東京オリンピックは大きな感動を与えた。

ところが、東京オリンピックのメインスタジアムであった国立競技場の正門の現状は、この写真の通りなのである。どう考えても、これは感動的な光景ではない。“兵どもの夢の跡”と思わざるを得ないような表玄関の夏草である。東京オリンピックの感動を口にする者は、この現状を知らなければならない。歴史だ、伝統だという石原都知事一派の胡散臭さは、この辺にある。

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'08年07月15日の20時55分に分類その他で掲載しました。

この人物はクーベルタンか?

これは東京オリンピックを記念するレリーフである。人物は近代オリンピックの父クーベルタンなのだろうか。自信はない。上の写真の正門に向かって左側に鎮座されている。

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'08年07月15日の20時35分に分類その他で掲載しました。

※半年ぶりに明治神宮を訪れる

昨日の梅雨の晴れ間に半年ぶりに明治神宮まで散歩に行った。少しは運動をしないと思い、散歩をしようと決意したのだ。実に半年ぶりの明治神宮である。原宿門の鳥居は修復の工事をしていた。明治神宮に行くようになってはじめてのことだ。
参道を歩いて行くと、このパネルが掲げられていた。ふだんは明治天皇御製の和歌が掲げられているのだが、今回は五箇條の御誓文が掲げられていた。これは特別なことである。五箇條の御誓文が発せられたのは大政奉還の直ぐ後だったと思う。そうすると今年は明治140年ということか。関係ないことだが私の親父は明治33年――1900年生まれであった。私にとって明治は実在感のある時代なのである。

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'08年06月28日の01時27分に分類その他で掲載しました。

菖蒲が植えられている所

明治神宮の中に池があり、そのちょっと上に菖蒲が植えられている田圃のような所がある。今回わざわざ明治神宮まで足をのばしたのは、菖蒲の花を紹介したかったからである。紫陽花の話ばかりしているが、梅雨どきの花には菖蒲もある。ただ紫陽花は東京でもあっちこっちで目にすることができるが、菖蒲は特別な所でないとお目にかかれない。私が育った十日町市ではかなりあっちこっちで目にすることができた。東京では池や湿地は少ないのだ。

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'08年06月28日の01時09分に分類その他で掲載しました。

国会TV 政治ホットライン出演記事

ちょっと動きが感じられるTVからのキャプチャ画像群で、番組を再現しています。

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