フォトエッセイ 即写寸言

※信濃川の水――悪名高き宮中ダム

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 コンピュータを変えたのでデジカメの写真をコンピュータに取り込むことができなかった。5月中に即写寸言を一度くらい更新しなければならないと思っていたのだが、何とか可能となった。しかし、1ヶ月間もサボっていると以前のようにできなくなる。苦労してようやくupdateに成功した。

 いずれも5月の連休に十日町市に行った時に撮った写真である。テーマは信濃川の水である。

 昭和の初期に国鉄(あるいは鉄道省か)は、十日町市近辺の信濃川を堰き止め、その水を取って発電所を2基作った。十日町市にある千手発電所と小千谷市にある小千谷発電所だ。そしてこの発電所で発電された電気は、現在まで東京の山手線などの電車を走らせる電気として使われていた。

 この写真に写っているのが、十日町市宮中にある取水のために作られたダム「宮中ダム」である。現在はこのように大量の水が放水されているが、ほんのチョロチョロとしか流さなかったのだ。

 当然のこととして水を取られてしまった十日町市を流れる信濃川は干し上がってしまった。信濃川は死んでしまったのだ。ところがJR東日本は認められた水利権をはるかに超える水を取水したことが発覚し、数ヶ月前に国土交通省はJR東日本の発電水利権を取り消した。

 そのため十日町市内の信濃川に元の水が戻ってきた。私は現職の国会議員だったころ、信濃川の水問題にも関わったので、この連休は滔滔と流れる水を見たくて帰郷したのである。これはその時にとった写真である。

 早晩この問題については、永田町徒然草で訴えなければならないと思っているが、今日のところは拙い写真のみの掲載となる。

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'09年05月30日の22時04分に分類その他で掲載しました。

宮中ダムの下流にある姿橋付近の光景

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悪名高き宮中ダムから4~5キロ下流の架かる姿橋付近の光景である。水が川幅いっぱいに滔滔と流れている。これが水利権取り消し前は、人が歩いて渡れるくらいしか流れていなかったのである。信濃川の水を干しあげて発電していたのだ。そんな電気を環境にやさしい電気とJR東日本はいう。その考えが私には分からない。

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'09年05月30日の21時26分に分類その他で掲載しました。

姿橋のたもとで

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上記姿橋のたもとの水流である。ここはかなり川幅が狭く、深さは数メートルあるように見えた。水利権取り消し前は、その水量はきわめて少なかった。

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'09年05月30日の21時16分に分類その他で掲載しました。

※冬の富士山

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1ケ月ほど前になるが、私はある会議に出席するために箱根に行った。よく晴れ日であった。どこでも富士山がよく見えた。富士山の写真など珍しくないが、ちょっと凝ったアングルの写真である。プロに言わせれば噴飯物であろうが…・。

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'09年04月13日の07時12分に分類その他で掲載しました。

箱根の関

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上の写真を撮った所の近くに 箱根の関所がある。今回どうしてもここに来たかったのである。以前この関に来たことがあるが、今回どうしても来たかった。この前、勿来の関に行ったからであろう。昔の旅には関所があった。最近の旅には○○が…。

 こちらが江戸御門である。向こう側が京都御門である。その間に番所がある。今度箱根に行く機会があったらここに行くことをお勧めする。近くに資料館もあり、ちょっとした歴史勉強になる。

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'09年04月13日の06時59分に分類その他で掲載しました。

京都御門

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こちらは京都御門である。この門から出て、多くの人々が西の都・京都に向かったのであろう。幕末の志士たちは命懸けでこの門を往来したのであろう…。

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'09年04月12日の15時58分に分類その他で掲載しました。

※ちょっと緊張して記念撮影

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多くの人に囲まれて私が記念撮影のど真ん中におさまっている。これはいったい何処の、いかなる記念写真なのであろうか。まずは順を追って見ていただきたい。

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'09年03月29日の20時57分に分類その他で掲載しました。

記念撮影ー2

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前と同じ

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'09年03月29日の20時43分に分類その他で掲載しました。

記念写真ー3

'09年03月29日の20時41分に分類その他で掲載しました。

白い旅人の会!?

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上の写真は、かつての上越地区白川勝彦後援会の有志で作る「白い旅人の会」の旅行会の記念写真である。2009年2月22日茨城県五浦温泉で行われた。同志の皆さまはバス3台で上越から来られた。私は東京から常磐線で行った。記念写真を撮った後、温泉に浸かり浴衣に着替え、楽しい祝宴が始まる。その前に挨拶をさせていただいた。

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'09年03月29日の20時34分に分類その他で掲載しました。

お話がちょっと硬いようで……

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私の話はいつも真面目である。いつもど真面目なのが私の取柄のようなものである。この日も徐々に熱が入ってきて、旅行会の話としてはちょっと硬くなったようだ…(笑)。

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'09年03月29日の20時11分に分類その他で掲載しました。

お酌をしながた旧交を温める。

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 開会のセレモニーが終わると宴会である。昔のように私は参加者全員にお酌をする。100人を超える人の返杯を受けるのは大変だ。しかし、旧交を温め、いろいろなお話を聴くのは楽しい。

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'09年03月29日の18時55分に分類その他で掲載しました。

※ちょっと太目のコロンボが…

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2009年2月22日の午後ちょっと太目のコロンボよろしき人物がある所に立っていた。天候はすごく良い日であったが、冬の真っ最中である。少し立ち止まっていると寒くなった。記念の写真を撮ると、この人物は足早にさっていった。ここはいったい何処なのか。この人物はなぜこんな所にいたのか?

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'09年03月08日の15時28分に分類その他で掲載しました。

なかなか良い感じのこの門である。

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この門は何なのであろうか。小高い丘の頂上近くにある。この門の先には、整備された道が上に続いている。時間があれば少し歩きたい雰囲気の道である。

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'09年03月08日の15時16分に分類その他で掲載しました。

誰が誰に対して“来る勿れ”なのか?

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正解は、“勿来関(なこそのせき)” である。茨城県の五浦温泉に近くにある。常磐線の勿来で降りればタクシーで直ぐに行ける。後日updateするつもりだが、白川勝彦後援会の方々が五浦温泉に来られたので私も行くことにした。横山大観が弟子たちと共同生活したところである。そういえば、テレビでみたことがあった。
 ところで、“勿来関”とは、“来る勿れ”ということである。関所を設けたのは時の政府である。勿来関の北、すなわち福島や宮城や岩手(すなわち蝦夷と呼ばれた地)の人々に対して、ここには来るなよと言っているのだろうか。それとも京都や鎌倉(すなわち都)の人々に、ここには来るなよと言っているのだろうか。そんなことを寒風に晒されながら暫し考えさせられた。

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'09年03月08日の15時08分に分類その他で掲載しました。

国会TV 政治ホットライン出演記事

ちょっと動きが感じられるTVからのキャプチャ画像群で、番組を再現しています。

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